⭐️産後の体に強制労働。成人式の後の地獄
私が夜中2時までラーメン屋で働かされていたことには、さらに狂った背景がありました。
ある時、美容室に成人式の予約が入りました。
産後すぐで体がボロボロ、悪露も続いている私に対して、ケモノたちは一切の手加減をしませんでした。
なんと、午前四時4時からだったでしょうか?店に立たされ、ヘアセットや着付けの仕事を強制されたのです。ヘアセットはケモノが担当しました。何故か?「おれは上手い」と豪語していました。
着付けが終われば眠れると私は軽く考えていましたが着付けが終わると通常のお客様がご来店されパーマ、やカラーと休む間も無く働きました。そこへケモノは自分が朝からヘアセットをした事を理由にその売り上げを持ってパチンコへ行ったのです。
出産後に過酷な労働を強いられ身も心もボロボロでした。私が重い身体を必死で支えながら仕事をしているとケモの母が動く人形を抱いてよく店に現れた。鏡越しに写る動く人形を抱くケモノ母、その姿はまるで自分のモノのように優越感すら感じました。ほら、見ろよ、私に懐いてるだろう!と言わんばかりのケモノ母の態度にどれほどの屈辱を与えられた事か
睡眠時間もまともに与えられず、夜遅くまで働かされる生き地獄。
しかし、これ以上に恐ろしい地獄が、夜の仕事場である「ラーメン屋」に隠されていました。
⭐️ラーメン屋の真実。ひまわり義姉の店を奪ったケモノ母
実は、そのラーメン屋はもともと、ケモノの長兄とひまわり義姉の二人が、夢を持って必死に始めたお店だったのです。
それをケモノ母(姑)が強欲に目をつけ、理不尽に乗っ取ったのでした。
ケモノ母は、ひまわり義姉に対して「私の言うことを聞け!」と執拗に迫りました。
ひまわり義姉が拒むと、ケモノ母は近くにあったお盆(トレイ)を掴み、ひまわり義姉の頭を何度も、何度も、狂ったように力任せに殴りつけたのです。
鈍い音と共に、ひまわり義姉はその場に崩れ落ち、意識を失って倒れ込みました。
しかし、悪魔の暴挙はここでは終わりませんでした。
⭐️ 気絶した義姉に洗濯洗剤と水を浴びせる狂気
床に倒れてピクリとも動かないひまわり義姉を見下ろし、ケモノ母がとった行動は、人間のやる事ではありませんでした。
なんと、気絶しているひまわり義姉の体に、粉末の洗濯洗剤を大量に浴びせかけたのです。
そして、そこに冷たい水をザバザバと流し込みました。
意識のない人間に対して、洗剤と水を浴びせてなぶる。
それは妖怪や悪魔を超えた、猟奇的な殺人未遂とも言える凄惨な虐待でした。
何故捕まらないのか?私はこの魑魅魍魎ケモノに何度もこの家はおかしいと訴えたのです。ケモの母のしたことは犯罪だと私は断言します。猟奇的です。何故か?それはケモノ父の仕事が関係してました。
「姉さんもこの家で逆らったらどうなるか分かってるから警察になんか行っても無駄や!全部親父が握り潰す。お前もよう覚えとけや」
この令和ならケモノ親子を逮捕できたでしょうか?
そんな酷い仕打ちをされてもひまわり義姉は正月、盆には顔を見せにきていました。そして必ず
「ましゅ邸ちゃん元気?これ美味しいから食べて食べて」と必ず土産を持ってきてくれたのでした。
草餅、小豆餅、柿の葉寿司、これらを見る度にひまわり義姉を思いし出します。それとは変わってケモノの2番目の兄、珍獣とその嫁の腹黒女いつも姑の前だけニタニタと笑いケモノ母からは男の子を2人も生んだからと持て囃されいました。この腹黒女は私がケモノ母に虐められて泣いていた時に
「泣いてるの?ふふふふふ面白い」と何度も嘲笑されたことがあります。ケモノ母も何かがあった時に最後の切り札としてこの腹黒女を取っておきたかったのでしょう。
正月にひまわり義姉は必ず3段の重箱でおせちを作って持ってきていましたが腹黒女は手ぶらでした。
こんな酷い仕打ちを受けてるのに顔なんか見せに来なくても良いんですよ!私は心の中で叫びました。
ひまわり義姉が50歳という若さで命を落とした背景には、こうしたケモノ母からの言葉にできないほどの極悪非道な暴力と、精神的な拷問が日常的にあったからなのです。
私はこの話を思い出すたびに、悔しさと恐怖で涙が止まらなくなります。
このような凄惨な血の滲むような犠牲の上に、そのラーメン屋は存在していたのです。
#8778 各都道府県の女性支援センターへつながります
一人で悩まないでください。話をするだけでも一歩前進します。
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