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保護施設には、3週間ほどいたと思います。
その間に、何人かの弁護士の先生にお会いしました。自分に合う先生を探すのが、こんなに大変なのだと、初めて知りました。普通に暮らしていたら、弁護士の先生にお願いすることなどないと思って生きてきた私は、元夫に洗脳され、異次元の考えに染められていたのです。
そして、保護施設には、長くは居られません。ある一定の期間が過ぎると、出られる人は、住む場所を探して出ていきます。行政の下で、住居を探すことになりました。
それは、突然でした。
「どの辺りに住みますか?」
そう聞かれて、ワンルームの間取り図を数枚、受け取りました。不動産会社の方が車で迎えに来てくださり、私は部屋を探しに行きました。
今、覚えているのは、3か所の部屋です。
狭い。一人で住むのだから、こんなものなのか。それにしても、狭すぎる。圧迫感を感じました。その日に決めたような記憶があります。
保護施設を出たら、本当に一人になってしまう。怒号は、ない。毎日、朝、昼、夕と、美味しい食事がありました。それが、なくなる。これからは、ひとりぼっち。
帰りの車の中で、今までとは違う、新しい恐怖のような感覚がありました。
「仕事、見つかるかなぁ?」
「いや、見つける!」
部屋が見つかったと同時に、保護施設を出る日が決まったようなものでした。いつまでも居られない。同じ施設にいた北さんとの別れが、頭に浮かびました。自分も、出るのだ、と。
荷物は、特にありませんでした。なにしろ、鞄ひとつで家を出てきたのですから。
結局、元夫は、暴力で捕まることもありませんでした。
「我慢しただけ、損しただけだったのか」
そう思いました。
今なら、分からないことは、AIになんでも聞けます。けれど、その頃は、ガラケーの時代でした。保護施設にいる間に、たまたま持っていた保険証で携帯電話を買うことができて、Mさんと連絡先を交換しました。でも、Mさんとは、ここが最後のお別れになりました。
食後に集まって談笑していた部屋。夜、寝る前にお喋りしていた部屋。皆で、苦労した話をしました。もう、話せなくなる。そう思うと、とても寂しい気持ちでした。
不動産会社の方が迎えに来てくださり、私は車に乗りました。北さんとの別れも、その場所でした。皆に見送ってもらい、私は保護施設を出ました。
部屋に行くまでの間に、不動産会社の方が、「布団、炊飯器、テレビを買いましょう」と、一緒に探してくださいました。以前にも書きましたが、あの時は、本当に助かりました。ありがとうございます。
荷物は、本当に、一切ありませんでした。ゼロからのスタートでした。
もし今、保護施設にいる方。これから、出ようとしている方。不安で、怖くて、当たり前です。私も、そうでした。それでも、怒号のない夜は、ちゃんと来ます。
一人で抱え込まず、DV相談ナビ #8008 や、#8778 に、話してみてください。
明けない夜はない。
📞 DV相談ナビ #8008
📞 #8778
各都道府県の女性支援センターにつながります。
詳しくはこちら→ https://www.mhlw.go.jp/anata-no-mikata/



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