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いつも私の記事を読んでくださっている方の中には、まだ声をあげられずにいる方もいらっしゃると思います。今日は、私が今、どうやって「今」を生きているのか、保護施設を出てから部屋を探し、仕事を探し、どんな思いで走り抜けてきたのかを綴りたいと思います。
まず、前提としてお伝えしたいことがあります。命に関わることがない限り、一定の期間は保護施設で十分な話し合いができます。行政の方も間に入ってくださり、保護施設から不動産会社を紹介していただけます。保護施設からの紹介なので、個人情報が漏れる心配はありません。担当の方もそうおっしゃっていました。命に関わることがない限り。の内容はまた改めて書き綴らせてください。
物件を見るのは一軒だけではありません。もちろん、自分が嫌だと感じた部屋に無理やり契約する必要はありません。私も何ヶ所か内覧したうえで、物件を決めました。
当時は保証人が必要でしたが、今は緊急連絡先だけで契約できることも多く、そのための家賃保証会社もあります。私はそのとき、妹に保証人になってもらいました。たまたま持って出た鞄の中にゆうちょの通帳があり、残高もあったので借りることができました。
私の場合はたまたま通帳が手元にあり、自分で部屋を借りることができましたが、金銭的な余裕がない方には、行政からの支給があります。それが生活保護です。保護施設を出たあと、生活保護を担当する課の方にお世話になる方も、当時は多くいらっしゃいました。ご自身の状況に合わせて、遠慮なく頼ってください。
このあたりの準備については、ぜひ岡野あつこさんの動画「離婚するなら絶対するべき準備2選」を見てください。本で読みたい方は、岡野あつこさんの著書『本当に離婚を選びますか?』には離婚するときの準備を詳細に買いてくださっています。もし、こうした準備が難しい状況にあるなら、すぐに警察、病院、行政、市役所に連絡してください。#8778にお電話いただいた方が早いです。
家を借りて、いざ入居となったとき、部屋には何もありませんでした。私が借りたのはワンルームで、幸いにも小さな冷蔵庫と洗濯機だけは備え付けられていました。担当の方が慣れていて、そういう物件を紹介してくださったのです。そして布団、炊飯器、テレビ、自転車も、車で一緒に買いに行ってくださいました。本当に感謝しています。有難う御座います。
鞄ひとつで家を出たので、箸、スプーン、茶碗、鍋、皿、コップ、テーブル、タオル、ハンカチ――ありとあらゆる日用品を、一からすべて揃えることになりました。
保護施設にいたときは、同じ境遇の方たちと食事をして、お風呂に入って、お喋りをしていました。それが一転して、完全にひとりになったのです。孤独感が、内臓を抉るように絞られるような感覚でした。約三週間ほど保護施設に居ました。誰もいない狭いワンルームの、何か音がする度に覗き穴から外を見ている自分がいました。
「私、頭おかしくなってる。」
そう思いながら、道路沿いを歩き続けた初日でした。二日目も、外を歩き続けました。狭くて誰もいない空間に耐えられなかったのを覚えています。
弁護士の先生も探さなければなりませんでした。保護施設から三人の先生を紹介していただきましたが、自分に合う先生がいませんでした。最後にご紹介いただいた先生とも、お盆が過ぎるまではお会いすることができず、不安なまま歩き回っていました。
ゆうちょの残高も、日用品を買うたびに減っていきます。不安だけの毎日でしたが、仕事も探さなければなりません。
ハサミがない。そのことに気づいて、部屋を借りたこと、仕事を探していることを、次女に連絡しました。保護施設にいたとき、たまたま保険証があったおかげで携帯電話を買うことができ、次女の連絡先を覚えていたので、連絡が取れたのです。次女は夫と戦って、ハサミを持ってきてくれました。おかげで、仕事を探すことができました。次女と夫との戦いは改めて書き綴っていきたいです。
40代後半の自分に、仕事ができるのか。仕事があるのか。不安でしたが、ユニクロで服を買い、面接に挑みました。
次女には本当に沢山動いてくれました。お世話になったと、今もしみじみ思います。
📞 #8778
各都道府県の女性支援センターにつながります。
詳しくはこちら→ https://www.mhlw.go.jp/anata-no-mikata/


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