義母が義父の病院へ朝から晩まで付き添いを始めた頃、夫から言われました。
「オカンに毎日弁当を作れ」
コンビニでおにぎりを買えばいい。自分で作って持っていけばいい。
それをわざわざ私にさせる。
今思えば、私は夫の支配下に置かれていたのでした。
仕方なく弁当を作る。夫が病院へ運ぶ。そのままパチンコへ行く。
長女を見る人は誰もいませんでした。
私に懐いていない長女は、言うことも聞きません。
施術中に泣き叫ぶ声に、集中できない日が何度もありました。
そんな時、お客様がそっと言ってくださいました。
「連れといで」
パーマを巻く間、長女を膝に乗せてあやしてくださいました。
ありがたいことでした。
この光景が最初からあれば、どれほど良かったか。
でも私の心はもう決まっていました。
いつかここを出ていく。
義母がいない間、私はせめてと思い、長女にうどんを作りました。
何度も何度も、食器ごとテーブルから弾かれました。
やっぱり無理か。
長女はすでに、食事というものを全て甘いお菓子だと認識していたのです。
バナナとヨーグルトを置くと、それは食べました。
食べないよりはマシか。
他人の子供を一時的に預かっているような、何とも悲しい気持ちでした。
義母の食育がのちに悲劇を招くなど、その時はわかりませんでした。
長女は30代で、仕事中に高血糖で倒れ救急搬送されました。
糖尿病でした。
しかも妊娠中に夜中まで働かされた影響なのか、長女の膵臓は正常の3分の1しかなかったそうです。
育てた人間の結果です。
長女に対して何とも思わなくなっていた、冷静な自分がいました。
子供の食と体と心、そして客観的に自分を見て考える思考は、環境が作ります。
そしてその環境を変えられなかった自分を、私は今も悔やむことがあります。
でもあの頃の私には、どうすることもできませんでした。
精一杯生きていました。
それだけは、自分に言い聞かせています。
📞 #8778
各都道府県の女性支援センターにつながります。「こんな体に産みやがって。一生恨む」
次女を通じて届いたその言葉に、私は静かに思いました。
何でも人の責任にするのは、義母と同じだ。


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